千曲市について

1. 位置・地形 千曲市は長野県北信地域にあって長野盆地(善光寺平)の南端に位置し、長野市、坂城町などに隣接しています。東西15Km、南北12㎞に広がる市です。
市のほぼ中央を千曲川が南東から北東に大きく曲がりながら流れています。
千曲川の両岸には平坦地が広がり、山麓へと続き、西は冠着山(姨捨山)、東は鏡台山などの山々に囲まれています。千曲川左岸の西部山地は緩い傾斜面を形成し、右岸の東部山地は比較的急峻です。

2. 成り立ち 美しい景観を形成している千曲川ですが、古来より多くの氾濫があって、両岸に自然堤防ができ、豊かな集落地や肥沃な耕地が形成され、早くから人々が住みつきました。縄文から弥生時代の遺跡や、古墳時代を代表する「森将軍塚古墳(国史跡)」を始め、多くの古墳が残っています。
平安時代になると、「信濃国」(今の長野県)は10郡に分かれ、各郡にはその行政単位として「郷」が置かれました。千曲市周辺は、千曲川を境に、西は更級郡、東は埴科郡と呼ばれ、更級郡は9郷に、埴科郡は7郷に分かれていました。
平安時代の埴科郡・更級郡の郷名は下記の通りです。「和妙抄」より:下線は千曲市に属する郷

更級郡(9郷) 麻績、村上、當信、小谷更級、清水、斗女、池郷、氷鉋
埴科郡(7郷) 倉科磯部船山大穴屋代、英多、坂城

江戸時代、徳川幕府では、信濃国は10藩に分かれて統治され、千曲市の更級郡、埴科郡は天領など一部を除き(注1参照)、殆どが松代藩に属していました。下記が、松代藩以外の管轄とその地名です。


(注1)松代藩以外の管轄とその地名

天領(幕府直轄領) 上戸倉、下戸倉、寂蒔、鋳物師屋、打沢、小島、桜堂、杭瀬下、新田
上田藩 稲荷山

江戸幕藩体制の260年の長い間、千曲市の村々の名称には、変化なく明治時代を迎えました。
明治初期には、22の村がありました。明治12年(1878)「郡区長村編成法」が制定されました。
今までの地理的名称に過ぎなかった「郡」は、地方自治体の形態となって、「郡の役所」が置かれました。郡役所は、埴科郡は屋代村(明治14年町制施行)に、更級郡は塩崎村(長野市)に置かれました。当時、屋代には、郡役所の他警察署、裁判所出張所などの県の出先機関が設置され、埴科郡の中心的な町になりました。 明治22年(1889)の「市制・町村制」施行により、それ迄の22町村は13町村に統合。その後、昭和30年(1955)・34年の「昭和の大合併」で、今の千曲市区域は南北に1市2町(更埴市・戸倉町・上山田町)に編成されました。更埴市の市名は更級郡と埴科郡の頭文字をとって名付けられ、戸倉町は埴科郡、上山田町は更級郡として残りました。 その後、約半世紀を経て、平成15年(2003)県下トップを切って、1市2町が合併して、「千曲市」が誕生しました。初代市長は、宮坂博敏(元更埴市長)が務めました。



千曲市の沿革と系図

千曲市の沿革と系図

3.自然

● 面積

総面積 119.7㎡
広ぼう 東西15km / 南北12km
標高 最高 1,330m(大林山)
最低 353m(雨宮の水田)

● 人口・世帯数

人口 58,857人
男 28,538人 / 女 30,319人
世帯数 22,203世帯 2020.9現在

● 山岳(1,000m以上)

千曲川左岸 ・高雄山(1,166m) ・北山(豊峯)(1,237m) ・三峰山(1,131m)
・冠着山(1,252m) ・八頭山(1,204m) ・大林山(1,330m)
千曲川右岸 ・鏡台山(1,269m) ・五里ケ峰(1,094m)

3. 河川 ●千曲川
千曲川は、南佐久郡川上村(長野県)、山梨県、埼玉県との県境にある甲武信岳(2475m)を水源地にして、佐久平を下り、上田盆地を経て、長野盆地に入ります。盆地入口にある千曲市の北部辺りで、北西から北東に大きく流れを変え、北上して、新潟県に入ると、名前を信濃川に変えて日本海に注いでいます。全長367㎞(日本最長)。うち千曲川は214㎞。信濃川153km。千曲市を流れる長さは14㎞です。千曲川は、その名の通り曲がりくねった暴れ川で、洪水の度に数々の被害を与えた反面、沢山の恵みをももたらしました。景観はもとより古くから豊かな自然を育み、地域を潤し、農産業や文化の発展に役立ってきました。
千曲川は市名の由来でもあり、千曲市のシンボルです。

●(橋)千曲川にかかる橋
篠ノ井橋・粟佐橋・千曲橋・平和橋・冠着橋・大正橋・万葉橋・筏橋

●千曲川両岸の主な河川(一級河川)
【千曲川左岸】・荏沢川 ・佐野川 ・宮川 ・更級川 ・雄沢川 ・湯沢川 ・荒砥沢川 ・女沢川
【千曲川右岸】・三滝川 ・沢山川

4. 市のスローガン 【科野の国 さらしな・はにしな 史都がにぎわう信州の交流拠点 千曲】
千曲市は、古くは「科野の国」の交通・文化の中心地であり、交通の便が良く「交流拠点」として地域の連携・交流が高まるまちづくりを進め、躍動感あふれる「史都」の創生を目指します。

5. 千曲市民憲章 千曲の清流、月の名勝 姨 捨 山、日本一のあんずの里、豊かな温泉など、恵まれた風土と縄文以来の長い歴史や文化をもつふるさとに育まれているわたくしたちは、千曲市民としての誇りと責任をもち、未来への限りない発展を願って、次のことを誓います。

1 清らかな水と澄んだ空、郷土の歴史や文化を大切にする豊かなまちをつくります。
2 たがいに支え合い、安心して暮らせるあたたかなまちをつくります。
3 心身をきたえ、元気にはたらく活力あるまちをつくります。

6. 市章

全国から募集した作品から数点が選ばれ、市民アンケートによって制定された。デザインは、共生と交流の和・環をイメージし、千曲市の「千」を表現したもの。千曲市の将来像「千曲川に月や花が映える共生と交流のまち(都市)」実現への願いが込められています。(平成16年から施行)

7. 市の花・市の木 平成21年に制定。市木・市花のあんずは、「あんずの里」として観光客に親しまれ知名度が高いこと。市花のセツブン草は準絶滅危惧種ですが、2ヶ所の群生地があり、市の天然記念物です。早春に春を告げる可憐な花として親しまれいることから選ばれました。 【市花】・あんず ・セツブン草 【市木】・あんず


あんずの木

あんずの花

セツブン草

8. 姉妹都市 ・宇和島市(愛媛県) ・射水市(富山県) ・横芝光町(千葉県)

9. 交通 千曲市は、古代の東山道支道が通っていたと推定され、江戸時代には、北国街道、善光寺西街道、さらに、谷街道が交わる要衝の地にありました。明治時代には、東西を結ぶ鉄道の信越線、篠ノ井線が相次いで開通し、また、大正11年(1922)には、屋代駅を起点に須坂・中野方面に通じる長野電鉄河東線ができました。(平成24年(2012)に廃線。)
現在は、長野自動車道と上信越自動車道が合流する更埴ジャンクション。2か所のインターチェンジ。更埴インターチェンジ、姨捨スマートインターチェンジがあって、高速交通網の重要な地にあります。
一般道では、国道18号線、国道403号線、県道77号線などが、市内外からの幹線的機能を有しています。更に、国道18号バイパスも一部供用されたり、市内を南北に貫く都市計画道路「千曲線」が開通して、交通渋滞の緩和に役立っています。

鉄道交通網においては、しなの鉄道4駅とJR篠ノ井線の1駅があります。

※ 参考文献:更級・埴科郡地方史、更埴市制20周年記念誌、千曲市歴史的風致維持向上計画、千曲市統計書