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ちくま大百科

【文化財・遺産・史跡】雨宮の渡し

所在:千曲市屋代

16世紀半ば、北信濃の支配をめぐっての甲斐の武田信玄、越後の上杉謙信の戦いは、川中島合戦(1553~1564)と呼ばれますが、4回目の戦い(1561)の時、「妻女山」に布陣していた上杉謙信は 武田方、海津城から炊飯の煙が上がるのを見て、相手の策略「啄木鳥(きつつき)戦法」を察知し、夜半ひそかに人馬ともに妻女山を下り、千曲川の浅瀬を渡って翌早朝、八幡原の武田本陣を攻めたと言われます。その渡河地が「雨宮の渡し」です。
当時は戦況を左右するほどの重要拠点だったはずが、千曲川の流れは北側に移り、長い間、ここに何の面影もありませんでした。が、昭和13年(1938)、合戦から約380年を経て、「雨宮の渡し」の地として何とか保存しようと、謙信奇襲の川中島合戦を詠んだ「頼山陽」(幕末の儒者)の漢詩碑を建て、史跡公園としました。園内には、合戦模様を示す案内板も建っています。

雨宮の渡し

雨宮の渡し

「頼山陽」碑と碑文

「頼山陽」碑と碑文

「頼山陽」碑と碑文

「頼山陽」碑と碑文

「頼山陽」碑と碑文

「頼山陽」碑と碑文

【参考事項】

(頼山陽漢詩碑文)
「題不識庵撃機山図」 「ふしきあん きざんを うつの ずに だいす」(不識庵―謙信、機山―信玄)

鞭聲粛粛夜過河    べんせい しゅくしゅく よる かわを わたる
暁見千兵擁大牙    あかつきにみる  せんぺいの たいがをようするを
遺恨十年磨一剣    いこん じゅうねん いっけんを みがき
流星光底逸長蛇    りゅうせい こうてい ちょうだを いっす

※公園の案内板。千曲市観光案内ガイドブックより

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