所在:千曲市屋代
15世紀後半、村上義清の一族だった屋代氏が一重山に築いた山城です。山頂から北に向かって南北に12の郭(=くるわ・曲輪、軍事目的の平地施設)があり、その間は堀切や竪堀の防衛施設で遮断されています。郭の周囲斜面は、腰曲輪(削平地)が雛壇状に設けられました。このお城は一重山全域に広がる山城でしたが、主郭から南側は採石により削られ、消失しました。
天文22(1553)村上氏の居城、葛尾城が武田信玄によって攻め落とされた時、屋代氏は武田方に寝返って、荒砥城に入ることになります。永禄2年(1559)、屋代城は廃城となりました。
・信州千曲市観光案内ガイドブックテキスト(千曲市観光協会発行)
・「やしろ」第18号 屋代城跡めぐりー屋代城縄張図(やしろを語る会発行)
・「屋代の歴史物語」 大橋幸文著 屋代のまちづくりを考える会 発行