所在:千曲市森
森将軍塚古墳は、今から1650年ほど前の古墳時代中期(4世紀中頃から後半)に造られ、当時「科野のクニ」を治めていた豪族(大王)の墓と考えられています。森地区にあることから森将軍塚古墳と呼ばれています。
この古墳は、全長が約100mの前方後円墳で長野県では最も大きくかつ最古級の古墳です。裾テラスや周辺からは、埴輪棺・箱形式石棺・円墳など併せて100近い小さなお墓が見つかっていて、昭和46年(1971)には国の史跡指定を受けています。
古墳は上から見ると「く」の字型に折れ曲がったいびつな前方後円形をしています。山の尾根に造られた古墳は尾根いっぱいに造られており、整った形の古墳よりも大きな古墳を造ることに重要な意味があったと考えられています。
後円部で見つかった石室の面積は広く、竪穴式石室としては日本最大級のものです。石室は調査後、元に埋め戻してあり、墳頂では見ることができませんが、麓の森将軍塚古墳館では精密実物大模型を見ることができます。墳頂では、157個の埴輪が発掘調査の結果に基づいて並べられてます。
古墳は長野県千曲市有明山の尾根標高490m、平地から130mの地点にあり、墳頂からは善光寺平が一望できるのをはじめ、戸隠連峰、北アルプス、千曲川、戦国時代に川中島合戦の舞台となった川中島古戦場などの景色を見渡すことができます。
石室の副葬品はそのほとんどが持ち去られていたようですが、残された品の中から長野県内では唯一の三角縁神獣鏡の破片などが見つかっています。
・平成19年(2007)には、有明山将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳、土口将軍塚古墳と合わせて埴科古墳群として改めて国の史跡に指定されました。
・令和元年(2019)、日本経済新聞社の「何でもランキング”古墳めぐり”」では、専門家により森将軍塚古墳は9位に推薦されました。
・昭和40年(1965)年頃から古墳の周辺で埋め立て用の土砂採取が始まり古墳は崩壊の危機にさらされましたが、市民、研究者、行政が一体となった保存運動が起こり古墳は保存されることとなりました。
・昭和56年度(1981)から平成3年度(1991)までの11年間にわたって古墳の保存整備事業が行われ、全面発掘・調査の結果に基づき築造当時の姿に正確に復原されました。