所在:千曲市桑原(大田原)
大田原の草分けといわれる松林大城守従五位親延は京都で摂関となったが、摂家と領地争いをし、寛喜3年(1229)主従9人で京都を退出しました。 信州に落ちてきた9人は佐野で暮らしていましたが、7人が生活苦から盗みを働き、切腹を命ぜられてしまいます。残された親延と従者右近は大田原に居を移し、田畑を開墾して暮らしを立てながら、7人の菩提を弔うための塚を建てたのでした。
七人塚
・桑原村史