所在:千曲市稲荷山(本八日町)
江戸時代の元和元年(1615)、一国一城令により稲荷山城は廃城となりました。
本丸館は代官所となり、寛永10年(1633)から城主須崎三河守の娘婿であった松木家が稲荷山宿の本陣と問屋を務めるようになり、代々続いていきました。
本街道ではないため本陣といっても大名の参勤交代時の宿泊はありませんでしたが、善光寺街道最大の宿場として人の往来が多く、役人の宿泊や問屋として公文書の運搬など仕事は多かったといいます。
松木家は、幕府より無年貢・無役の田畑をもらい、苗字帯刀を許されて、御目見え以上の家格を持っていました。
嘉永元年(1848)に建築された四脚の冠木門と本陣取次の間は、現在も当時の姿をとどめています。
肥沃の地であった更級四藩は上田藩の飛び地となっており、稲荷山宿は千曲市では唯一の上田藩領でした。
・更埴市史 他