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ちくま大百科

【文化財・遺産・史跡】義仲鞍掛石・舟繋石・馬繋石

所在:千曲市稲荷山(荒町公民館南側)

義仲鞍掛石(よしなかくらかけいし)木曾義仲(源義仲)は源頼朝のいとこにあたり、木曽(あるいは朝日村)に住んでいました。平家打討を命じられて挙兵し、養和元年(1181)越後から押し寄せてきた平家の大軍を横田河原(篠ノ井)で打ち破り勝利しました。
義仲はこの戦いに向かうため稲荷山篠山の陣ケ窪から一気に駆け下り、千曲川の河原(現在の荒町)で馬や兵を休ませるため小休止を取りました。この時鞍をはずして掛けたとされる石が、のちに「義仲鞍掛石」呼ばれ、現在まで残っています。

舟繋石(ふなつなぎいし)千曲川は千まがると書くようにその流れは定まらず、往古は現在の荒町辺りを流れていました。ここ(荒町)には、川を上り下りしたり対岸と往来したりする舟の船着き場があり、その際に舟を繋いだ石が現在まで残っています。
木曾義仲も横田河原の戦いにここから舟出したと言われています。
対岸の倉科にも舟繋石が残っています。

馬繋石(うまつなぎいし)稲荷山は、江戸時代月に9回も市が開かれる賑わいのある物資の集散地でした。運搬には多くの馬が使われ、店先や辻々には馬を繋ぐための四角垂の石が置かれ、馬主は上部に空いた穴に手綱を繋ぎ買い物や飲食を楽しみました。現在も町内の軒下に置かれている石を見ることができます。

舟繋石

舟繋石

義仲鞍掛石

義仲鞍掛石

馬繋石

馬繋石

【参考事項】

・稲荷山郷土の歴史 他
・千曲カルタ

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