所在:千曲市上山田
昭和の終わり頃まで、ここには、遊園地・動植物園があり、ロープウェイもありました。
しかし、段々と、その魅力は薄れて、経営が厳しくなり、平成2年閉園。上山田町では、戦国時代「荒砥城」と呼ばれる山城があった事から、竹下内閣の「ふるさと創生1億円事業」で荒砥城の再現を決めました。再現工事にあたっては、愛知県豊田市の「足助城」を参考にして、旧望月産の鉄平石を使った石垣、木造の柵、門、櫓、兵舎,本郭などを再現し、平成7年6月史跡公園としてオープンしました。
荒砥城は見事な造りの山城です。戦国時代の山城に想いを馳せ、ロマンが感じられます。
平成19年NHK大河ドラマ「風林火山」。平成23年NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」でもロケ地として使用されました。本郭は標高590m 麓より220m高く、眺望抜群です。眼下の温泉街、千曲川の流れ、そして、北には、善光寺平、北アルプス。南に坂城、上田方面が拡けています。
荒砥城は、「山田城」・「砥沢城」とも呼ばれ、今から約500年前(大永4年頃)に、この地を治めた村上氏の一族である山田信兼によって築かれたと云われいます。城は、郭が幾つも連なる「連郭式山城」と呼ばれています。この荒砥城と千曲川をはさんだ対岸の山頂に築かれた葛尾城の城主村上義清は、武田信玄と戦い2度も勝ち領地を守りましたが、武田軍の圧倒的な軍勢の前に、天文22(1553)年ついに葛尾城は自落し、当時の荒砥城主山田国継は戦死。山田氏は滅亡しました。その後、川中島の戦い(天文22年1553~永禄7年1564)を経て、北信一帯は上杉謙信の後継である上杉景勝が治め、荒砥城には清野氏・寺尾氏・西条氏・大室氏・保科氏・綱島氏・綿内氏の七氏が10日交代で管理させる「荒砥在番衆」を設置しました。
上杉景勝の配下で海津城の副将であった屋代秀正(初代屋代城主屋代国政の後継)は天正12(1584)年、上杉氏に背き海津城を出て荒砥城に篭りますが、上杉軍に攻められ荒砥城は落城し廃城となりました。
毎年10月の第三日曜日には、「荒砥城まつり」が開催されます。
近くには、日本に2か所しかない歴代天皇陛下の肖像画を見学できる「日本歴史館」、善光寺大本願別院「城泉山観音寺」や縁結びの神・和合の神・子宝祈願の「澳津神社」があります。