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ちくま大百科

【文化財・遺産・史跡】川中島合戦 初戦の地

所在:千曲市八幡

ここ八幡は,あの謙信と信玄の十数年にわたる戦いの善光寺平における初戦の地と言われています。
村上義清は天文22年4月9日葛尾城自落で越後へ落ちましたが、4月20日には村上・上杉・高梨等連合軍兵約5000人の軍となって塩崎・稲荷山辺りまで進攻、青柳城に居た信玄は約1600人を迎撃のため麻績経由で八幡に向けて派遣しました。
そして、八幡で衝突又は接触したものと思われます。八幡の何処で、どの程度かは不明でありますが、この戦いは村上軍優勢で1日で終わり、翌日には村上軍は坂木の葛尾城を奪回しました。
姨捨方面から下って来た武田迎撃軍と葛尾城奪回を目指す村上・上杉軍は八幡バイパスの峰の信号辺りでぶつかったのでしょうか。
その翌日23日に葛尾城を奪回し、村上氏は塩田城に入りました。
そしてその後10年を超える両雄の戦いが続くことになりました。
この戦いの記念碑が武水別神社手水舎の西並びに八幡の有志の皆さんの手で平成30年に建立されています。

初戦の地碑

初戦の地碑

川中島古戦場の龍虎一騎打像

川中島古戦場の龍虎一騎打像

碑の説明板

碑の説明板

【参考事項】

・「川中島の戦い 初戦の地」の記念碑が平成30年10月武水分神社境内に建立されました。

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