所在:千曲市八幡
霊諍山は八幡郡地区の大雲寺の裏山に当たる地です。
120基を超える石仏石神、石祠、文字碑、自然石などが有り、また社殿も祭られています。
中でも蚕をネズミから守っている猫神や恐ろしい形相の卒塔婆などが良く知られています。
霊諍山の信仰は、修那羅・御嶽教・神習教の三者がミックスしたものと考えられています。
碑の数は、修那羅系の物が多く、御岳教の物は少なようです。
神道の一つ神習教は明治17年八幡教習所が開かれ、明治25(1892)年霊諍山講社務所が許可された。和田辰五郎(文政8~明治44年)の生家の近くです。
霊諍山名は辰五郎の師,修那羅大天武も使っていたようで、ここからこの名が使われたようです。辰五郎は修那羅山の大天武の死後、中原に戻り行者として生活をしていました。
同じ年開祖とされる御嶽教行者の北川原権兵衛(慶応2~昭和28年)も郡の生家に戻り、布教を始めました。昭和前期までは、農村では医者にかかることも少なく、すぐれた行者は、天狗ともいわれ、薬草などの漢方の智識もあったことから、地域の病気治療や、占い、祈祷、相談等生活の師として頼られていたようです。
辰五郎の師の修那羅山は最後の山伏「修那羅大天武」(大天武は明治5年に死亡)が開いた聖なる場所です。徳川時代から明治前期にかけて神仏混合時代の形態を呈しましたが、当時の名越を得て、祭神賀美観音、木妻大明神、金神、天神、道祖神、唐猫大明神、八幡宮、千手観音、鬼神催促金神、水天宮、弁天宮、子育宮等をはじめ石仏、神像が御鎮座するほか、大小の石詞があり、全国的に有名です。
・戸倉のキティパークの「天狗」・修那羅山