所在:千曲市八幡
八幡村は善光寺平の南端に位置し八幡の峰峰を背負い、千曲川を前にし、古い歴史と、交通の要所として、古来から都との関係も深い土地でありました。この地区は古時は小谷(おうな)の郷に属し、後に更級の庄と言われておりました。郷とは戸数50戸もっていわゆる村の意味です。小谷の郷は京都岩清水の所有地となっていました。ここは信州十郡の中でも最も早くから文化の進んだ地で、聖山を中心とした更級郡の政治の中心「大領」が居た処と記録されております。
その名残を残すものが多々あります
① 部落内が井形に整然としており、おそらく「条里制」の名残と思われています。
② 土地の名前にはそれらを想像させるものが多くあります。
・法殿・旗塚・糖塚・堀之内等
③ ここを通っていた古道は麻績~羽尾~郡~桑原~四宮石川~善光寺 に到る「東山道信濃路」であり、この道の要地でありました。また社宮司遺跡や東條遺跡などもこの更級郡衛が関係していると考えられています。
④ もう一つ郡内には「元八幡」という小祠が あります。「武水別神社八幡宮」は最初ここに招致された、その後現在位置に移つされたものと思われています。
・八幡村誌