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ちくま大百科

【生活・行事・民俗】雨宮の御神事

所在:雨宮

「雨宮の御神事」「獅子踊り」と呼ばれる「雨宮の神事芸能」は、雨宮坐日吉神社の春の祭礼行事です。「雨宮の神事芸能」として、昭和56年(1981) 1月 国の「重要無形文化財」に指定されました。

御神事の起源は、はっきりしませんが、神事本来の意味は、民の疫病や田畑の荒廃や元凶となる怨霊を華やかな踊りやお囃子(おはやし)で送り出すというものです。「化粧落とし」や「橋懸かり」は、怨霊で送り出すという意味で始まったものに、田畑の豊穣を祈る目的も持つようになったようです。

「雨宮の御神事」の形は室町時代の地方の風流で発達した代表的な例と云われています。
明治の初め頃まで、屋代・森・倉科・土口・生萱・雨宮の各村々が色々な役割を持って参加していました。この頃の御神事は森の禅透院の山内で、清野山城守と雨宮摂津守の位牌も前に、御神事踊りをしてから出発しました。明治23年(1890)5ヵ村の共同祭事は廃止され、雨宮地区のみで施行する現行体制になり、昭和50年(1975)から3年に1度の例祭になりました。

御神事のクライマックスは、勇壮な「橋懸かり」です。沢山川(生仁川)に架かる斎場橋の橋桁に、4頭の獅子の身体を縄で縛り、橋の上から逆さづりにして、獅子頭で川面を激しく叩き神飾りを水に流す怨霊送りと云われています。「化粧落し」(橋懸かり)は、禊の「行」と云う説もあり、激しく頭を振って、水しぶきを上げて踊る奇祭です。

祭りの最後は、沢山川を挟み、唐崎山の麓にある唐崎社で山踊りをして、神社に帰還します。
唐崎山は標高472mで、山の上には当初、武将生仁の拠城である生仁城がありました。戦国時代には、地元の豪族雨宮の拠城となり、唐崎城と改めたようで城跡が残っています。

雨宮御神事踊り

雨宮御神事踊り

雨宮御神事踊り

雨宮御神事踊り

橋懸かり

橋懸かり

【参考事項】

雨宮坐日吉神社御神事民族文化財調査報告書

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