}

ちくま大百科

【人物】松林 天上

所在:桑原大田原

松林天上氏は明治33年当時の更級郡桑原村大田原の農家に生まれ、桑原小学校を出ただけでしたが、書や学問が好きで、佐野のお薬師さんの灯明で本を読んでいたとか、冬は田畑に積もった雪の上に大きな字を書いて山の上から眺めて遊んでいた等の話が村人の話に残っています。
24歳で上京し、徴兵で入隊通信兵になり、その後朝日新聞社に勤め、32歳ころ渋谷辺りで書道塾を開いていました。戦況悪化で、一家は故郷に疎開食べ物に苦労したようです。食べるに精いっぱいの時代書や絵画への余裕のない時代でしたが、家を「煮雲荘(煮雲山房)」と呼び書道塾を開き、ここを終の棲家といたしました。70歳近くまでは東京、熱海、小田原、名古屋、大阪、奈良などに教えに行っていました。
篆刻は石井雙石先生、漢詩は説田桂堂、岩淵裳川、土屋竹雨等の先生に学んでおり、生涯「醴泉命(れいせんめい)」を座右の銘として臨書していました。

昭和58年4月83才でなくなりました。
昭和29(1954)年仲秋観月の碑 姨捨長楽寺に建立
昭和30(1955)日本書道美術院審査員になる
*地元小学校・公民館等多数天上氏の書額有り

姨捨観光会館完成時氏の書かれた「天下の絶勝」書額は、姨捨の地が天下に比類なき天下一の景観であるとこの地を讃えています。

姨捨観光会館額「天下の絶勝」

姨捨観光会館額「天下の絶勝」

松林天上先生

松林天上先生

長楽寺「仲秋観月」の碑

長楽寺「仲秋観月」の碑

長楽寺「仲秋観月」の碑

長楽寺「仲秋観月」の碑

【参考事項】

・著書 落款の心得・天上詩稿・天上晩晴集等がある。

印刷する
人物の一覧へ