所在:千曲市上山田中央
天文22(1553)年4月9日北信濃名族村上義清は武田信玄の軍勢に攻められついに葛尾城に火を放たれ落城しました。この時、義清の奥方はひそかに従女と共に城を抜けて千曲川を渡り草木を分け東国寺へと逃げ込もうとしたが、ふと振り返ると彼方に燃え落ちる城が見え、はらはらと涙を流し悲しんだそうです。そしてここで追っ手の放った矢に討たれ命果ててしまったのです。戦国の世に生き死んで行った女たちの悲しい姿が偲ばれます。そして、この坂は「女涙坂」とよばれるようになったといわれます。
・参考文献 信州千曲市観光案内ガイドブック