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ちくま大百科

【生活・行事・民俗】中原の狐伝説

所在:千曲市八幡・中原

中原の西北に 佐野という集落があります。
ここにはチョボという狐が住んでいました。
この狐は、とても芸が達者で、信州の有名な狐は,みなチョボの手下だったそうです。
つまり、信州狐の大ボスでありました。
近郷近在の名のある狐を上げてみると、今の千曲市の杭瀬下の現千曲市役所・更埴文化会館付近は尾米河原といって、一面の葦藪(よしやぶ)で、米二郎という狐が居ました。
篠ノ井共和の小学校辺りは団の原と言い、ここには「団左ヱ門(だんざえもん)」がおりました。
また近くの郡部落の矢崎山には福次郎がおりました。
この狐たちは時々、佐野のチョボの所に集まり、歌舞伎大芝居を打ったということです。
芝居のある時は、佐野や中原の村中に「今夜大芝居があるから見に集まれ!」とお触れが出ました。
村人たちがひそかに窓の隙間から覗き見していると、下駄をカランコロン引きずるように鳴らしながら、集まってくるのが見えたそうです。 やがて夜になり、指定の場所にみんな集まり、村人達の固唾をのんで見守る中で、彼らの18番「熊谷次郎直実と平の敦盛」の名画面が始まりました。
青い野原が見る見るうちに大海原に変わり、馬にまたがった武将たちの見事な芝居をみせてくれたそうでした。 翌朝、現場に行ってみると、馬に見えたのは藁束で、扇に使ったと思われる朴の木の葉が散乱していたということです。
狐やタヌキ(狐狸)が人を化かす動物という伝説は中国からの伝来の話です。1965年(昭和40年)頃からはこうゆう話は無くなってきています。
日本においてキツネは、神様の使いという扱いを受けていたこともあります。キツネはネズミを食べてくれるため、作物を守ってくれる益獣という扱いも受けてる一方、伝染病を媒介することもありました。良いこともするが悪い面もあるという両面性が、摩訶不思議な存在となり、仏教伝来とともに、人を化かすような存在として扱われるようになっていったのか??

【参考事項】

・平成復刻版「番場峠物語」旅籠屋帳簿.中原組

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