所在:千曲市森
大城山 興正寺 浄土宗 本尊 阿弥陀如来建治年間(1275~1278)に天台宗の寺として倉科に建立され、その後生萱大城山麓に移転、さらに弘治元年(1555)現在地へ移転しました。天正2年(1574)衰退していた寺を再興したのは、大本山増上寺法王で、天台宗から浄土宗に改宗されました。総門(参道の最初にある門)は黒塗りの冠木門、三門は薬医門、弘化2年(1845)の建造です。薬医門は参道から石段を上がると子持ち龍の三門として知られています。龍は本尊の守り役と言われています。三門の建設と龍の彫刻は、立川和四郎富昌の作です。
本堂内に掲げられた「興正教寺」の大額は、松代8代藩主真田幸貫公の自筆です。また本山増上寺の墓地に祀られていたもので徳川六代将軍家宣、九代将軍家重の灯篭、文化13年(1816)作成の当麻曼荼羅(たいままんだら)が所蔵されています。(奈良当麻寺に伝わる極楽浄土の図)その他、寺宝の中には安藤広重(鏡台山にかかる月)や歌川国芳などの浮世絵が相当数所蔵されています。
・一部古寺めぐり