所在:千曲市八幡(中原)
郷土を築いた実業家和田家は元禄2年(1689)に中原において酒造業を創業し、現在まで昔ながらの手づくり純米酒『オバステ正宗』を醸造している蔵元で、現在の社名は長野銘醸です。
代々地域の文化・経済に大きく貢献していて、開眼寺の建立や善光寺・長楽寺・八幡神社などへの寄進を行っています。また村人の娯楽として獅子舞を導入し、以来お神楽の文化が現在まで受け継がれています。
9代目当主の和田郡平は、明治6年(1873)有栖川親王からりんごの苗木を下賜され、長野県初のりんご園を開園、りんご栽培を県下に広めました。
また、明治11年に発足した長野県議会の初代議員に選出されています。
明治14年には商都として栄えていた稲荷山に民営の稲荷山銀行を設立し、初代頭取となりました。のちの八十二銀行の始まりでした。
明治28年八幡尋常小学校の開設に際しては土地や建設資金を寄付し、教育に関しても惜しみなく私財を投じています。
明治39年には日露戦争の戦勝記念に当地を訪れた東郷元帥らを迎え、丁重にもてなしています。治田神社一の鳥居に立つ石碑文字は、この時揮毫した元帥の書です。
明治期、地域文化・経済に多大な貢献をした偉人です。