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ちくま大百科

【人物】小林 五藤

所在:千曲市稲荷山(中町)

稲荷山中町出身の宮大工・宮彫師江戸後期の寛政2年(1790)生まれ 嘉永4年(1852)没と推定されています。
本名は小林佐太郎藤原茂高で、号を五藤と言いました。
京都吉田家より烏帽子狩衣の着用を許され、のちに官職に就いています。
五藤流の流れをくむ宮彫師で、文政年間(1820年頃)から活躍し、たびたび上洛して京都御所の造営にも携わっています。
治田神社境内にある治田町や上八日町の高市社のみごとな彫刻や、川中島古戦場近くの典厩寺(てんきゅうじ・武田信玄の弟信繁の墓がある)にある閻魔大王像頭部など、いくつもの作品が残っています。

【参考事項】

・稲荷山400年の歩み 他

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