}

ちくま大百科

【人物】宮本 虎杖

所在:千曲市戸倉

【俳人】寛保元年(1741)~文政6年(1823) 享年83才下戸倉村中町の豪農宮本佐太郎(寺子屋師匠)と母そねの長男として生まれました。
本名 宮本道盛 通称 清吉 八郎兵衛。号は古謙・天老・晩年、利翁と云いました。居は虎杖庵と呼びました。
30才の頃、加舎白雄に入門。俳人として修行を重ねて、中央で、その存在感を高めていき、白雄が開いた「春秋庵」の一番弟子まで上り積めました。判者を許され、宗匠としての地位も得ました。白雄が展開した芭蕉復古運動とする「蕉風」を守り続けて、俳壇の第一人者になりました。地元に帰り、虎枝庵を創立しました。
多くの俳人たちが虎杖庵を訪れました。虎杖は、「名月の里 姨捨」を案内したり、句会を催すなどして、俳諧の地位を固めました。生涯を通じて、柏原の俳人小林一茶と交遊がありました。
白雄没後、寛政3年(1791)、天姥らは長楽寺に句碑「姨捨や月を昔のかゞミなる」白雄居士の遺跡を建てました。文化から文政(1804~18)の頃、全国にその名が知られました。
長楽寺に宮本虎丈の句碑があります。
「くもるとは ひとの上なり けふの月」 平井嵐窓(千曲市新田)建碑

虎杖庵夜燈 戸倉駅東側の小林山堂(やまんどう)、宮本家墓地の虎杖庵墓碑前に2ツの石灯篭があります。
千曲市教育委員会の説明版には、「石灯篭2基は、俳人虎杖庵祖利翁および三世舟山の門人たちが、宗匠の生前の徳を慕って建立したものです。右の石灯籠は利翁のもので文政10年(1827)に、左は舟山のもので天保13年(1841)に建立されました。
利翁は加舎白雄の高弟で戸倉宿に虎杖庵を創立し、東北信に1000人の門人を擁し、文化文政年間の地方俳諧に大きな影響を与えました。利翁の一子舟山も父に劣らぬ地方俳諧の宗匠でした。」とあります。

虎杖庵夜燈

虎杖庵夜燈

【参考事項】

・戸倉町誌、俳人宮本虎丈 高野六雄、姨捨いしぶみ考 矢羽勝幸

印刷する
人物の一覧へ