所在:千曲市埴生
幕末明治時代の寺子屋師匠。
文化2年(1805)正月27日に鋳物師屋に生まれました。明治23年(1890)7月20日没、享年86歳。
喜昌は、幼少から学を好み、和歌狂歌を寂蒔の斎藤月彦に、算数を須坂藩士土屋愛親に学び長ずるに及んで学殖ますます深く博し、国典によって和歌もきわめ本居宣長に私淑しました。また独学で制度文物や治乱沿革について造詣を深め、なお 算数においては点竄(テンサン)円理の術に至るまで蘊奥(ウンオウ)を極めてあますところがありませんでした。寺小屋をひらいて読書、算数を教えました。門弟は前後数百人にのぼり名声頗(スコブル)あがりました。著書には開港風波録十巻、行余漫筆三十五巻はじめ数多い。遺稿十二巻は「麓の塵」と言って内に和歌を含むが、葛尾によってこの歌は広く讃えられました。明治25年(1805)7月、門弟相謀(ハカ)って埴生小学校入り口に頌徳の碑を建てました。
尚 初代村長から13年勤めた子の東平は父喜昌の「麓の塵」から「益々埴の栄える・・・・・・」の文言から「埴生」という名前を付けたと言われています。
・区誌 ふなやま