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ちくま大百科

【人物】6代 色部 義太夫

所在:千曲市埴生

政治家、大地主、貴族院多額納税者議員
埴科郡杭瀬下村に生まれました。大地主、豪農の5代色部義太夫義義裕(よしすけ)義江子夫婦の長男として生まれました。山寺常山に師事し官学を修めました。長野県の地券取調所出仕となり出納課付属となりました。明治17年(1884)補選で長野県会議員となり、埴科郡連合町村会議員となりました。
その後埴科郡鋳物師屋村外七ケ村連合戸長に就任し、その後長野県会議員に再選されました。
明治30年(1897)貴族院多額納税者議員に任じられました。日本赤十字社長野支部病院(現長野日赤病院)の開設にあたり多額の寄付を行いました。明治31年(1898)合資会社色部銀行を設立し代表社員になりました。

【参考事項】

・村誌 杭瀬下誌

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