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ちくま大百科

【人物】西村 進

所在:千曲市埴生

園芸学者、育種学者、政治家
進氏は明治39年(1805)に桜堂に生まれました。埴科農蚕学校(現屋代南高)をでて家業の養蚕を手伝っていましたが、好きな花づくりをしたいと千葉高等園芸(現千葉大)へ進みます。東京の多摩川近く“温室村”で実地勉強した後、昭和23年(1800)桜堂へ帰り切り花づくりを始めたといいます。
花づくりといっても当時あまりやる人はなく、奇妙な目で見られたらしい。でも西村さんの努力があって、十数年たつと次第に地域へも広まり、東京向けの切り花産地の先駆けとなったといいます。
昭和3年(1928)在来の鉄砲ユリによく似た「高砂ユリ」が台湾から輸入されて人気を呼びました。
しかし進さんは花に斑のあるのが不満で、数千本咲かせた中から純白に近い物だけを選び次の年育てる方法で10年かかって純白の高砂ユリをつくりだします。しかし香りがなく、病気に弱く葉が長すぎる等見劣りしました。一年に一回しかできない交配を試行錯誤の繰り返しで終戦後、何とかよい花ができるようになります。その業績は西村鉄砲ユリを始め、カーネーション「乙女の笑」「黄色の波」「彗星」等の作出に成功しました。また 県の花卉組合長等の役職も多数歴任されました。
西村邸の庭先に地元埴科郡を中心に一般の寄付を募り竣工された、土台から6メートル以上ありそうな大きな「西村氏頌徳碑」がたっています。

【参考事項】

・公民館報ちくま もっと知りたいふるさと

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