所在:千曲市埴生
教育者、物理学研究物 (養蚕)
埴科郡杭瀬下村、田中家に生まれました。長野県師範学校卒業後、桑原小、杭瀬下小に勤務され、その後、上京し生物学を学ばれました。松代町の旧藩士長谷川家の養嗣子となります。愛知県女子師範学校、東京府立第五中で教壇に立ちます。最後は屋代中(現屋代高校)で大正12年(1923)から昭和30年(1955)までの32年間生物教師として熱心に子弟教育に尽力されました。その間{エノキダケ}の人工栽培に着目して、苦心の末昭和6年(1931)にびん詰めによる栽培法を考案しました。今日「エノキダケ」が長野県の特産農産物になっているのは先生の大きな功績です。
・屋代高校同窓会講演会の案内
・信州人物誌