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ちくま大百科

【人物】松井 須磨子

所在:千曲市八幡・中原

松井 須磨子(まつい すまこ)(1886年(明治19年)3月8日(戸籍上:11月1日)- 1919年(大正8年)1月5日)は、日本の新劇女優、歌手。本名小林正子(こばやしまさこ)
二度の離婚、日本初の整形美人女優、整形とその後遺症に苦しめられながらの名演、島村抱月とのスキャンダル、俳優養成学校へ入学し念願の女優となり、日本初の歌う女優としてのヒット曲と発禁騒動、そして抱月死後の後追い自殺と、その波乱の短い生涯は多くの小説や映画、テレビドラマとなっています。

中原の和田酒造の当主和田郡平翁を明治39年有栖川宮殿下が訪ねて来られたことがあり、その時和田家の小間使いで12,3歳の目の細く切れ上がった少女が殿下へお茶くみをしていました。この少女が松井須磨子であったことを知る人は少ないと云われています。

1913年、島村抱月と芸術座を旗揚げし、『復活』(トルストイ原作、抱月訳)のカチューシャ役が大当たりし、人気女優となりました。須磨子が歌った主題歌『カチューシャの唄(復活唱歌)』(抱月作詞・中山晋平作曲)のレコードも当時2万枚以上を売り上げる大ヒットとなりました。須磨子は日本初の歌う女優となりました。

また後に流行歌となる『ゴンドラの唄』(吉井勇作詞・中山晋平作曲)も歌唱しました。
1917年に発売したレコード『今度生まれたら』(北原白秋作詞)では、歌詞の中にある「かわい女子(おなご)と寝て暮らそ」の部分が当時の文部省により猥褻扱いされ、日本における発禁レコード第1号となりました。

坂城町大永寺の須磨子句碑

坂城町大永寺の須磨子句碑

【参考事項】

・平成復刻版「番場峠物語」 旅籠屋帳簿.中原組(明治10年)

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