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ちくま大百科

生活・行事・民俗伝説 恋しの湯(小石の湯)/千曲市上山田温泉

昔千曲川のほとりにお政という綺麗な娘がいました。ある日江戸からの長旅の途中病気で倒れていた若い男米吉を救ってやりました。二人は恋仲となり祝言を上げ村人たちもうらやむ仲睦ましく暮らしておりました。ある日の秋米吉は江戸へ用向きで旅立ちそのまま音沙汰が無くなってしまいました。お政は途方にくれ、信心していた観音様に米吉の無事を一心にお願いしました。ある夜夢枕に観音様がお立ちになり「米吉を救いたければ千曲川の河原で赤い石を100個拾い奉納しなさい。」と告げられました。それからというものお政はただ一心に赤い小石を拾いどうにか99個の小石を見つけました。100個目のあと1個の小石がどうしても見つけられず悲しんでおりました。やがて冬が来、凍えそうな日一筋の湯気が立ち上がってこんこんと湯が湧き出ている場所から100個目の赤い小石を探し当てました。早速観音様に奉納すると間もなく愛おしい米吉が帰ったという事です。この話を聞いた村人たちは、この湯を「恋しの湯」(小石の湯)と名付けたというお話しです。 千曲市ふれあい福祉センターと大正橋に赤い石があります。探してみてはどうでしょうか。

生活・行事・民俗伝説 女涙坂/千曲市上山田中央

天文22(1553)年4月9日北信濃名族村上義清は武田信玄の軍勢に攻められついに葛尾城に火を放たれ落城しました。この時、義清の奥方はひそかに従女と共に城を抜けて千曲川を渡り草木を分け東国寺へと逃げ込もうとしたが、ふと振り返ると彼方に燃え落ちる城が見え、はらはらと涙を流し悲しんだそうです。そしてここで追っ手の放った矢に討たれ命果ててしまったのです。戦国の世に生き死んで行った女たちの悲しい姿が偲ばれます。そして、この坂は「女涙坂」とよばれるようになったといわれます。

生活・行事・民俗伝説 笄の渡し/千曲市力石

「笄の渡し」は上山田温泉から千曲川上流2kmあたりに位置します。北信濃一帯に勢力を張った豪族村上義清は武田勢と戦い居城葛尾城を攻められ天文22(1553)年4月落城寸前に攻められました。義清の奥方は侍女たちと共に敵の追手を逃れ一族山田氏の守る荒砥城へと落ちのびようと千曲川の渡し場から舟に乗りました。船を降りるとき船頭が細かく荒砥城までの道を教えてくれた親切に感謝し「火急のため鳥目(金銭)は持ち合わせていないが、せめてこれを受け取っておくれ」と、お礼として自分の髪にさしていた笄を渡り賃として贈ったといいます。 この事を伝え聞いた人々はこの渡し場を「笄の渡し」と呼ぶようになったという事です。

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