}

ちくま大百科

【神社・仏閣】武水別神社 神宮寺別当家

所在:八幡

神宮寺別当家開山の祖は慈覚大師により貞観6(864)年甲甲正月清浄山神宮寺開山同山の宗本として明治初期までありました。このことから八幡宮は千年以上の歴史が推定されます。
慶長3(1598)年上杉景勝会津に移封織部佐随い神職は弟縫殿助に譲りました。以後神主にて人民を支配するを停められ、神領200石を社僧等分して受領、明治維新まで続きます。
江戸時代までは「神仏習合」の思想で神社近くに神宮寺が建てられ、神社と寺院が一体となっていました。
そして神宮寺の僧侶は神主を上回る権威を持っていました。しかし明治元(1868)年の「神仏分離令」にお堂や塔、仏像経典は近隣の寺院に移され神社からは仏教色が取り除かれました。
お堂は千曲川を筏で下り、現在土口の正応寺の本堂となっています。また家人の話では、上山田東国寺に譲与されているとのことです。
神宮寺の遺跡は広い敷地のみが残されましたが、若干その後をとどめる物としては、本堂前の千曲市の座敷前庭の市指定保存房「松の木」、朱塗りの「稲荷社、天神社、高根社」僧侶が使用したとされる「お籠」等が残っています。
昭和30年頃切られた神宮寺の大杉は現物が無く、写真・絵のみですが、お八幡様お参りに屋代駅を降りた人々が目印にしたとの話も残っています。

清水家に伝わる大杉の絵

清水家に伝わる大杉の絵

高良社・天満宮・稲荷社

高良社・天満宮・稲荷社

市保存指定木の松

市保存指定木の松

八幡宮より神宮寺への道

八幡宮より神宮寺への道

土口の正応寺本堂

土口の正応寺本堂

印刷する
神社・仏閣の一覧へ