稲荷山銀行(梅沢屋)/千曲市稲荷山(上八日町)善光寺地震から復興した稲荷山は再び活気を取り戻し、生糸や絹織物を中心に、綿・麻・薬・農具などの生活雑貨を扱う店が軒を並べ、北信濃随一の商人町となっていきました。
商都の富の貯えと融資の必要性から、明治14年(1881)稲荷山銀行が資本金12万円で設立されました。
頭取には中原の和田郡平、専務取締役に小出八郎右衛門がなり、小出宅を間借りして寺子屋式の畳敷き銀行が始動しました。重役陣の人望と顧客の秘密が厳守された業務により、信頼される銀行として成長していきました。
明治26年、経営危機に陥った松代の第六十三国立銀行を救済するために合併をして稲荷山六十三銀行となり、明治30年には普通銀行に転換して六十三銀行と名称を変えました。
小出八郎右衛門死去後の大正11年(1922)本店を長野市に移し、昭和6年(1931)には上田の十九銀行と合併して、現在の八十二銀行となっています。
明治期に建てられた稲荷山六十三銀行本店の建物は、その後雑貨を扱う梅沢屋が買い取り、現在も家人が住んでいます。
令和6年4月(2024)八十二銀行の稲荷山支店は屋代支店に併合され閉店となりました。