旧3庁舎(更埴庁舎、戸倉庁舎、上山田庁舎)が統廃合され新庁舎として令和元年 (2019)5月に完成しました。各階ごとに移転し同年8月26日全階の移転が終了して 新庁舎が開庁しました。 庁舎は5階建て 1階 市民課、福祉課、税務課他(利用者の多い窓口を集約) 2階 保健センター、環境課他 3階 建設課、上下水道課、農林課他 4階 市長室、総務課、教育委員会他 5階 議場、 選挙管理委員会事務局他
市民文化の振興及び福祉の増進をはかるための施設として平成2年(1990)3月に、以前杭瀬下小学校、埴生高校のあった地に竣工されました。音楽、演劇、美術の展示などの芸術、会議、研修などに使用されています。 また、この建物の屋根は、塗装されておらず、耐候性鋼(たいこうせいこう)でできており、鋼表面には保護性錆(安定錆とも呼ぶ)を形成するように設計された低鉄合金鋼てす。錆の色は茶褐色でそれなりに美しいと言われています。適切な管理をすれば無塗装で使用できるので、メンテナンス費や塗装費を軽減できると言われています。
屋代駅の開業は明治21年(1888)です。日本国有鉄道の信越線(高崎駅~新潟駅)の駅であり、大正11年(1922)には河東線(後の長野電鉄・河東線)が屋代駅〜須坂駅が開業されました。 一時は信越本線と河東線の間で直通列車が運行された時もありました。平成9年(1997)長野新幹線開通に伴い、しなの鉄道に移管されました。その後平成24年(2012)3月31日をもって河東線も廃止となりました。 尚 国の方針とすれば屋代駅は屋代一重山の北端に設置する計画であったのを屋代町民の反対(古老の話によれば、耕地がつぶれるとか、人が町を通らなくなるとか)があって現在の小島地籍に設置されたと言われています。 戸倉駅は、屋代駅に遅れること24年、明治45年(1912)に開業しました。停車場の設置は、信越線の開通で北国街道の戸倉宿は廃れて変革を迫られていたこと、また明治26年に戸倉温泉開湯されことから、村をあげて誘致活動の結果、認可がされました。開業後 戸倉上山田温泉への文人墨客の来訪や、陸軍上山田病院の設置など知名度も上がり、駅利用者も多くなりました。昭和41年(1966)特急あさまの運行が開始され、戸倉駅は停車駅となり駅前商店街や温泉利用客が増えました。しかし平成9年(1997)新幹線開通に伴い、特急停車駅だった戸倉駅はしなの鉄道に変わり、乗降利用者は大きく減少することになりました。 なお 千曲市内にはこの他に、しなの鉄道では、屋代高校生徒の乗降のある屋代高校前駅平成13年(2001)開業、地域住民の利便を図る千曲駅平成21年(2009)開業の2駅があります。 一方 JR東日本ではスイッチバックで有名な姨捨駅明治33年(1900)開業があります(姨捨駅は別ページで詳細に説明しています)。
平成9年(1997)開館しました。森将軍塚古墳(森地籍)の麓に建てられていますが、本館の地籍は屋代です。 森将軍塚古墳の発掘により明らかになった国内最大級の竪穴式石室(長さ7.6m、高さ2.3m、幅2m)が館内に再現されています。(発掘調査後、石室は元のように埋められたので、現地では見ることが出来ません) また、森将軍塚古墳から発掘された長野県唯一の「三角縁神獣鏡」(片鱗)や、埴輪の復元とその形や大きさなどの歴史の流れ、近隣の古墳からの出土品なども展示されています。
平成6年(1994)に開館しました。森将軍塚古墳の北側の麓に位置する県立の歴史的、博物館的施設です。 面積は19,500㎡、2階建てで延べ面積は10,457㎡。 発掘調査により出土した埋蔵文化財や歴史的に重要な資料の収集、保存、調査、研究が行われ、常設展示室では長野県の歴史を分かり易く展示公開、企画展示室では企画展や季節展、巡回展などが開催されます。閲覧室では歴史関係の図書が閲覧できますし、講堂では歴史に関連した講演や講座が企画されています。
かつて郡制時代(明治時代~)に置かれた「屋代簡易裁判所」の跡地です。 多くの方が美術に親しめるような施設として開館しました。 1階は絵画、書道、陶芸、彫刻などの活動ができる3つの「創作室」と、作品の発表の場として「市民ギャラリー」があります。2階には美術作品を鑑賞する「展示室〈美術館〉」が設けられ、郷土作家の絵画、書、工芸などが常時展示されているほか、企画展なども開催されています。 市民ギャラリー、創作室の申し込みは「アートまちかど事務室」で受け付けています。
屋代駅の新駅舎が昭和61年(1986)3月竣工されたその駅舎の中にあり、千曲市が運営しています。ギャラリーでは市民の作品である、絵画、盆栽、写真などが展示され、市民の皆様をはじめ駅を利用する皆様にと多くの方々に美術に親しんでいただく施設です。 開館時間:午前8時30分~午後5時15分 休館日:年末年始 展示期間:原則7日間 (月曜日~日曜日) 展示料金:1日当たり1,200円
千曲市庁舎に隣接しており、旧更埴体育館を建て替えで平成30年(2018)9月にオープンした新体育館です。戸倉にある寿高原食品がネーミングライツを取得して、愛称「ことぶきアリーナ千曲」にりました。1階アリーナの面積は39m×46mでバスケットボールバレーボール、バトミントンのそれぞれのコートが取れます。Bリーグの「信州プレーブウォリアーズ」のホームゲームを開催しています。施設全体がバリアフリー化されており、災害時の避難施設・物資輸送拠点の役割も持っています。
この建物は、稲荷山出身で世界的に有名な政治漫画家 近藤日出造(こんどうひでぞう)の功績を讃えて、記念館として平成2年(1990)に造られました。近藤日出造は明治41年(1908)に稲荷山で生まれ、昭和3年(1928)20歳で漫画家を志し上京、岡本一平のもとで修行。昭和5年に九州日報の嘱託社員となり、初めて政治漫画を描きはじめました。昭和8年から読売新聞の嘱託となって政治漫画・1コマ漫画を連載したところ、人気となりました。またエッセイ・コラムなども書いています。漫画で政治を大衆に近づけた功績はとても大きいと評価されています。また漫画と漫画家の資質向上に一生を捧げ、昭和39年には日本漫画家協会初代理事長に就任しています。館内は、1階に近藤日出造の作品を所蔵・展示し、2階では新旧4000冊を超える漫画本やコミック本を所蔵していて、自由に読むことができます。入館料を払うと1日出入り自由なので、存分に漫画を楽しんでください。
幕末から明治期にかけて「商いに国境なし」という「稲荷山魂」を説き、生糸輸出の先駆者となった「カネヤマ松源製糸」の松林源之助・松林源九郎が築いた「松林邸」を修復・再生した建物です。主屋は当時の町屋の生活空間を再現していて、西側二階建ての蔵は「くらしの資料館」として、かつての稲荷山の商売や生活の様子を物語る民族的資料を多数展示しています。 稲荷山祇園祭で神輿の先導役となる四神も、祭り期間以外はこの蔵に常設展示されています。江戸末期の建物で、くぐり戸・袖うだつ・中庭・井戸・蔵など昔にタイムスリップした景色を楽しむことができます。
400年以上前の天正年間に、現在の荒町北部にぬるい湯が湧き出ている旨の記録が残っています。また江戸時代の天保年間には銭湯を作り、地域の名前から湯ノ崎の湯と呼んで村人が利用するようになったが、善光寺地震後は湯が止まってしまったという記録もあります。昭和に入って稲荷山の住民から温泉を作ろうとの話が持ち上がり、昭和29年(1954)信州大学の調査を経てボーリングが始まりました。同31年11月に設立総会が開催され、町と町民共同出資の「稲荷山温泉」として日帰りも楽しめる宿泊施設ができあがりました。湯ノ崎から地下パイプを通して中町の現在地まで湯を曳いているのです。平成7年(1995)11月に5階建てのホテルに建替え、「ホテル杏泉閣」と名付けて市民の憩いの場となっていましたが利用客の減少等により営業継続が困難になってしまいました。 令和2年4月破産手続きの申立てが行われ、地域の拠りどころとなっていた「稲荷山温泉」は60余年の幕を閉じました。
姨捨駅は、明治33年(1900)、篠ノ井~西条間が開通した篠ノ井線にあって、その時、姨捨駅も開業しました。その後、篠ノ井線は中央線の塩尻まで通じました。 姨捨駅は、標高552m。この辺りの篠ノ井線は、山沿いの狭い斜面にあるため、駅へは、スイッチバックして入ります。(勾配25/1000。40m進むことに1m高くなります。) 駅からの善光寺平の眺望は、「思わず息を飲む」ほどの絶景です。「姨捨の棚田」、「千曲川」、そして、善光寺平と続く景観は、爽快で心が癒されます。汽車の窓からの見晴らしがいいことから「日本3大車窓」と云われてきました。すばらしい景色をゆっくり楽しんでいただくように、ホームのベンチは外向き、展望デッキもあります。 駅舎も見応えがあります。大正時代の設計、昭和9年(1934)に完成した大正ロマンが漂う建物です。駅全体を折り鶴、窓枠は亀をイメージした大変縁起のいい建物です。平成19年(2007)、日本経済新聞土曜日の何でもランキング 「訪ねる価値のある駅」で第2位に選ばれました。 昼間の眺望もいいですが、また夜景もすばらしいです。「日本夜景100選」に選ばれ、光輝くの善光寺平の大パノラマが幻想的です。 鉄道会社の観光列車が姨捨駅に乗り入れて、夜景ツァーを運行しています。千曲市の観光ガイド「楽知会」では、お客さんに見事な夜景に満足していただくように、駅でガイドの「おもてなし」を行っています。
昭和35年、地域の期待を一身に受けて、白鳥園は開業しました。 園内には、マンモス風呂と称された広い内湯や、ゲームコーナーに卓球台、そして大広間での大衆演劇部分と大小プール、動物園等の遊園地部分(現在の戸倉体育館周辺、ジェットコースターがあったようです。遊園地は約1年半後閉園)1日いても飽きないアミューズメント施設としての魅力があり地域の人は勿論多くの人達に利用されてきました。そして園内には岡本太郎氏による「無籍動物」なる彫刻像が設置されています。(現存)かつては昭和天皇がご宿泊された格式高い温泉観光ホテルとして、また平成15年からは日帰りの温泉施設として、長きにわたり地域の皆さんに愛されています。 【経過】 昭和35年 1月 戸倉上山田ヘルスセンター開業 昭和37年 8月 長野県他6者で「戸倉上山田ヘルスセンター白鳥園」を設立。営業開始 昭和39年 5月 昭和天皇ご宿泊 平成15年 4月 長野県が日帰り部分を戸倉町に施設及び経営を移転。 平成15年 9月 更埴市、戸倉町、上山田町の3市町が合併し千曲市となる。合併後、千曲市が施設を取得し、直営の日帰り温泉施設にリニューアル。 平成26年 3月 施設老朽化・耐震性の問題により建替えの為閉館。建設工事着工。 平成27年 10月 「湯のさと ちくま 白鳥園」としてリニューアルオープン。 【泉質・効能】 [泉質] アルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性温泉) [効能] 関節リウマチ、変形性関節症、腰痛症、神経痛、五十肩、打撲、捻挫など、慢性期、運動麻痺におる筋肉のこわばり、冷え性、末梢神循環障害、胃腸機能低下、軽症高血圧、糖尿病、軽いコレステロール血症、軽い喘息又は肺気腫、痔の痛み、自律神経不安定症、睡眠障害、うつ状態など、病後回復期、疲労回復、健康増進 (湯のさとちくま白鳥園ホームページより)
さらしなの里は、善光寺平南部にある冠着山の北側に広がり、雄沢川・湯沢川によってできた扇状台地にあります。東側を千曲川が流れ、自然に恵まれた豊かな地です。古くから人々が住みついました。 昭和63・64年(1988・89)に幅田遺跡群円光房遺跡の発掘調査が行われました。その結果、縄文時代中・後期(6・7000年前)から中世に至る多くの遺構や沢山の出土遺物が発見されました。 旧戸倉町では、これらの重要な歴史遺産を後世に残すため、平成3年(1991)「さらしなの里古代体験パーク」を建設しました。 縄文時代の竪穴式や掘立柱建物、高床式倉庫。石を敷いた「柄鏡形敷石住居」と呼ばれる住居址などを復元しました。翌年、平成4年(1992)には、歴史資料館が完成しました。館内には、千曲市指定文化財「人面付小型深鉢土器」や「遮光器土偶」、縄文時代の集落が分かるジオラマなど多くの歴史資料を展示解説してあります。また、「姨捨伝説」の映像や縄文時代の生活様式が分かるアニメも楽しめます。さらに、縄文時代の人の服装に変装したり、火おこし、まがたまづくりなども体験できます。 毎年10月最後の日曜日に、更級小学校の子どもたちと地域の皆さんが一体となって「さらしなの里縄文まつり」を開催しています。
明治26年に開湯した戸倉温泉、同36年に開湯した上山田温泉の100年の歩みを伝える資料館として平成19年5月開館しました。採掘で使用した機械をはじめ、この地を訪れた著名人のゆかりの品、温泉街で暮らした人々が使用した用具などを展示してあります。 「地域の子供たちが戸倉上山田温泉の歴史を学ぶ場を設ける」ことを目的に、「展示資料はすべて購入しない」を原則に温泉地域の再生をはかる一助として「地域の人々とともに温泉資料館をつくる。」という願いから発しました。 入口を入ると玄関脇に原寸の2分の1のロービング式綱式掘削機を使った掘削櫓が迎えてくれます。館内に入ると、第一展示室には戸倉上山田温泉の風土と温泉地発展の歴史が絵図、写真、グラフ等で説明されており、射的コーナー、ジュークボックスがあり経済成長期の昭和の時代が思い出されます。 第二展示室には温泉の掘削から維持管理について説明されています。 入館料は無料ですが事前予約が必要となります。 電話 026-275-1001